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【コラム】このヒトに会いたい

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山内 小夜美

SAYOMI YAMANOUCHI

元気な姿をみなさんにおみせしたいけれども・・・
2年前に大島土石流災害で自宅が被害を受け、現在は自宅の一部をボランティアグループ「ぼらん」の活動場所として開放している山内小夜美さん81歳にお話をうかがいました。

福祉広報 2015年11月号 くらし・今・ひと

 

普段の生活がこんなにありがたいとは思ってもいませんでした。みなさんのおかげで生活が少しずつ良くなっていくことへ毎日感謝しています。

一時は行方不明者リストに

土石流が発生した日の前日、歯科治療のためたまたま上京していました。天気が悪く、優柔不断な普段の私なら行くかどうか迷うところでしたが、その日はなぜか迷いはなく背中を押されるように出かけました。

その夜、大規模な土石流災害が起こりました。沢沿いにある自宅も被害を受け、一時は私も行方不明者リストに載っていたそうです。島内に住む弟から連絡があり、役場に所在を知らせる電話をしました。

大島に戻ると、港に迎えに来た弟は長靴を持って待っていました。とにかく大変なことになっているということでした。自宅は鉄骨の柱のおかげで幸いにも全壊は免れましたが、1階には流れ込んだ土砂が1m位堆積していました。室内も泥が飛び散り、家具も倒れたり流されたり。玄関の扉も、仏壇も夫の位牌も流されてしまいました。

弟の家で2、3日世話になりました。仮設住宅にも申し込みましたが、車がつかえないと生活が不便になるため、あきらめて自宅に戻ることにしました。

1階はまったく使えませんでしたが2階と3階はそのまま使うことが出来ました。トイレや電源が2階にもあったので、何とか自宅で生活できました。

泥かきしている姿が心配

数日後からはボランティアさんが30人位来てくれました。毎日来てくれて、一人暮らしの時とは違う若いパワーをいただけました。ある時、土砂をかき出すため、床下に潜って作業をしている方の頭や顔が泥で汚れている姿に心配が募り、「もうよしてください。結構ですから。病気になったら困ります」と言ったことがあります。すると、「おばさんこそ休んでください。おばさんが病気になったら僕たちがやっている意味がない」と言われました。胸がギュッとしめつけられる思いでした。

この先どうなるんだろうと落ち込んだ気持ちでしたが、だんだん元気が出てきて、周りの人から笑顔が出てきたねと言われるようになりました。一緒に冗談を言ったり笑ったり、そういうことで元気が出ました。

ボランティアが集まる場所

自宅の横には、父が住んでいた木造の家がありましたが、全壊しました。建物がなくなったその場所は、いつからかボランティアさんが集まり、海や夕日を見ながら作業後おしゃべりをする居場所になりました。外が寒い季節になってきたので、物置に使っていた場所を片付け、みなさんに使っていただくことにしました。やがて集まるボランティアさんたちが「ぼらん」というグループになりました。今でもぼらんの事務所として自宅の一部を開放しています。日曜日の午後に平均6~7名集まります。私は、お茶くらい入れるわ!とお茶係をしています。内地の方も、近所の方もきます。誰でもどうぞという場所です。

内地からも島内からもボランティアさんが来てくれて、本当にお世話になりました。みなさんにどうご恩返しができるか考えました。独りよがりかもしれませんが、自分が元気でいることが、みなさんに対して何よりのご恩返しになるのではないかと思うようになりました。

ただ一つ。2年が経ち、みなさんのおかげで元気になれて、元気な姿をみなさんにお見せしたいけれど、「私は元気ですよ」というのが悪い気がしてしまう気持ちもあります。亡くなられた方、仮設住宅で生活している方、まだまだおつらい方がいらっしゃいます。

人とのつながりは本当に切れません。冥土の土産というか、死んでも決して忘れないと思います。


山内小夜美さん

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