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【コラム】このヒトに会いたい

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Kさん

NPO法人ヌジュミ 指導員

Kさん

ひとりでも多くの人に「奇跡の日常」につながってほしい
ギャンブル依存症の経験を経て、幸せな家庭を築きながらNPO法人ヌジュミで指導員をしているKさん(34歳・女性)にお話しをうかがいました。

福祉広報 2012年7月号 くらし今ひと

 

寂しさを抱えて

千葉で働いていた19歳の頃、九州の家業が大変なことになっていると連絡を受け、九州に戻りました。そのときには、もう会社は倒産し、家と土地が競売にかけられることになっていました。「両親が離婚するのではないか?」、「どこに住めばよいのか?」等、生活が一変し、不安だらけになったことは忘れられません。

その頃、ゲーム感覚で友だちとスロットマシン(スロット)をしたことが、10年間ギャンブル依存となった始まりです。その1日だけは、悩みでいっぱいだった私が「無」になれた日でした。いま思えば、社長の娘として育った私は、自分のプライドもあり、家の問題を話すことができず、寂しさを抱えてうつ状態だったのだと思います。

ヌジュミのギャンブル依存症回復プログラムの中に、自分の生い立ちを0歳から振り返る作業があります。そこで思い出したことがあります。小学生のとき、図工室に2時間閉じ込められたことがありました。いじめです。しかし、私は泣きもせず、笑っていたのです。その態度がその後、友だちから高評価で、いじめられることはなくなりました。しかし、友だちの悩みを聞く、聞き役になっていました。沢山の友だちの輪の中で、自分は人間関係を築くのが上手いと思い、八方美人に付き合っていただけかもしれません。自分をさらけ出すのが苦手で、生きづらさを抱えていたことに気がついたのは、プログラムの中でした。

「誰か私を助けて」

依存症だという自覚は当然なく、周りの声も、家族の涙も、その当時の私には何も響いてこなかったのです。金融業社7社から借金をし、家族に嘘を平気でつき、今までの人間関係を絶ち、スロットが人生のすべて。その頃結婚した旦那の前で、包丁を持ち自分を傷つけたことも。小心者なので、死ぬ覚悟なんてないのに、「誰か私を助けて」という叫びだったんだと今なら振り返れます。

包丁を手にしてしまった翌日。「もう精神病院に連れてって…」。行き先も告げられず乗せられた車の中で、父と兄に請うほど、全てを諦めていました。その車が向かったのがヌジュミでした。母が以前からヌジュミの新聞記事を大事にとっておいてくれたおかげで、現在の自分につながれました。

ヌジュミに到着した(こんな)私に、施設長が「よく来たね」と言って、握手を求めてくれました。そのときの温かさは、今でも覚えています。

ひとりでも多くの人に奇跡の日常につながってほしい

通所のグループセラピーを終え、ボランティアスタッフを経て、昨年10月から常勤の指導員として働いています。依存症で苦しむ女性の家族からの電話相談を受けると、あの時の自分の母親からの電話のようで、ひとごととは思えません。「助けて下さい!」との沢山の問合せがあり、全国に苦しんでいる女性がいる実態は日常業務からも感じます。一人でも、多く支援につなげたい。今は施設長と同じ思いです。

横浜には男性向けの依存症支援施設もあり、自助グループに一緒に参加する機会があります。今は、そこで知り合った仲間と幸せな家庭を築いています。子どもを授かるなんて、当時の私には想像もつかず、奇跡です。どうか、ひとりでも多くの人に「奇跡の日常」につながってほしいと願っています。

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