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【コラム】このヒトに会いたい

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小関 盛通

MORIMICHI KOSEKI

NPO法人東京腎臓病協議会 事務局長

小関盛道さん

震災をふまえて、腎臓病患者への心身の“よりどころ”をつくりたい
自らも、腎臓病と闘う「NPO法人東京腎臓病協議会」事務局長、小関盛通さん(43歳・男性)に、病気のこと、災害時の体験談のお話を伺いました。

福祉広報 2012年10月号 くらし今ひと

 

野球少年だった自分が腎臓に異変

腎臓の異変が見つかったのは16歳、高校1年の健康診断のときでした。尿検査で潜血反応がでていたそうです。私も両親も、なんの事やらで、「透析」という言葉自体も知りませんでした。

その当時、私は野球部に所属し外野のセンターを守っていました。野球に夢中になっていた頃です。保健室の先生に、「腎臓病は大変な病気なのよ。野球は辞めなさい。」と言われましたが、全く体に不調を感じないため、それから1年間は野球を続けていました。2年生になったとき、体への無理も加わったのか、長期入院をすることになり、なんとか卒業はできましたが、社会人になった後、27歳で食事療法から透析治療へ切替えることになりました。

震災で透析できない

透析を導入してから、16年になります。NPO法人東京腎臓病協議会(東腎協)との出会いは、クリニックの掲示板です。入会後は、腎臓病患者の先輩方の話を聞いたり、励ましてもらったりと、人とのコミュニケーションに助けられました。今でもその経験が支えになっています。就職先は運送会社で、事務職をしていました。その後、東腎協の役員となり、後に事務局長になりました。そんな日を過ごしているときに起きたのが、東日本大震災です。ちょうど金曜日だったこともあり、週3回「月・水・金」の夜間透析日(午後5時~9時半)にあたる日でした。駅に行ったものの多くの方が体験したように、電車は動いていない、電話は通じないという状況でした。足立区のクリニックまで歩いて向かい、3時間をかけて到着しました。しかし、『今日は透析できません』との回答でした。もちろん、今までこういった事態は経験したことがありません。結局その日は諦め、帰宅できたのは午後8時頃でした。東北の被災地のように、医療機関に甚大な被害があったわけではないので、私は翌日透析を受けることができました(通常の4時間透析を1時間短縮で対応)。

透析患者は全国で約30万人います。都内では、おおよそ3万人。東腎協の会員は約4、500人です。会員に確認したところ、翌日には、各自クリニックで透析できたとのことです。しかし被災地では、宮城・気仙沼の方が透析のため北海道へ、福島の方は東京都からの支援でバスが用意され、400人が東京に移送されたそうです。私たちは透析していること以外、日常では他の方となんら変わらないのですが、災害時は違います。避難所での食糧は、おにぎり、バナナ、カップ麺、缶詰など。私たち腎臓病患者の言う「食べられません」は、食の選り好みではなく、塩分・カリウムを多く含む食事により体調を害し危うくは生死の問題にもつながるからです。

どんな状況でも病気と上手く付き合い、病気を正しく知り、病気に負けない、QOL(生活の質)の高い生活を目指すのが課題です。私が先輩方に支えられたように、仲間の存在は不可欠です。これからも、心身のよりどころの大切さを広めていきたいです。

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