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【コラム】このヒトに会いたい

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栗橋 登志

TOSHI KURIHASHI

 

栗橋登志さん

「にこにこ バリバリ」をモットーに 何かの力を借りて笑ってもいい
乳がんの治療に苦しみながらも、看護学生の想いをきっかけに前向きなご自身を取り戻していった栗橋 登志さんにお話をうかがいました。

福祉広報 2013年4月号 くらし今ひと

 

乳がんが見つかる

男女雇用機会均等法もない頃、仕事に支障をきたしたら、働く女性全体の足を引っ張ることになるという想いで懸命に働いていました。「即断・即決・即実行」の精神で警察官として男性と肩を並べ、人の3倍働きました。その後、姑の介護に専念するため退職。介護に伴い病院に出入りする機会が増えたことから、病院を職場にすればいいのだと思いつき、現在は病院の周辺業務をサポートする会社で働いています。
北京オリンピック開催中の2008年の夏、友人と住民検診を受けました。その結果、乳がんが見つかりました。元々ソフトボールの選手だった私は、日本代表が優勝したことがとても嬉しくて、自分が乳がんと知ってもまだなお、日本の金メダルの方が大きな出来事でした。以前、他の部位で良性のポリープの手術をしたこともあり、「切り取っちゃえば大丈夫」。完治を目指せると安直でした。病院で泣いているがん患者さんがいると、「あっ、また泣いてる」と冷ややかに見ていたり、当時の私は乳がんは女々しい病気と思っていました。

前進していた私の生き様を否定されたような気持ちに

息子と娘は私の子どもだから、そんなにショックを受けないだろうと高をくくっていました。娘は、「余命1ヶ月の花嫁」という乳がん患者のドキュメンタリー番組を見ていたこともあり、娘自身も20代前半で死んでしまうのだという恐怖に潰されてしまいました。治療が始まり、私の髪が抜けたとき、娘は私と目を合わせることができなくなっていました。個人差はありますが私の場合、重度の副作用で爪が剥がれ、足の皮がバナナの皮のようにスルッとむけるなど全身に激痛を伴いました。
計8回予定の抗がん剤治療はドクターストップとなり、5回目で終了。常に前進していた私の生き様を否定された気持ちになり、自暴自棄に陥りました。
痛みも自分の気持ちも抑えつけていたとき医師から「我慢は治療の支障。なんの解決にもなりません」と言われました。自分が殻に閉じこもっていると周りの人をも不安にさせてしまうことに気がつきました。職場では腫れ物にさわる様子で、周りに気を遣わせていました。

何かの力を借りて笑っていてもいい

今までの自分を振り返ると、警察官を辞めたときも何とか自分で発想の転換をして、次の生き方を見つけられたということに気がつきました。そして、出会ったのが「キレイの力」プロジェクト(※)です。看護師の卵である学生さんの髪と想いが込められたウィッグを受取る患者を募集していることを知りました。頭の上に学生さんの想いをのせていれば、うつむかず前を向いて強く生きていける、何かの力を借りて笑っていてもいいのだと思えるようになりました。助けてもらうことは悪いことじゃないのです。今までの辛い想いを次に続く者には体験させたくない、患者の気持ちを支える活動をしようと応募しました。第一期生として選んでいただいた後は、病院内にサロンを開き、ボランティアもしています。
その後治療方法は、ホルモン療法に変わり、体の辛さは軽快し、ウィッグのおかげで娘との関係も、本来の自分も取り戻せました。女性が働きやすい社会になるまでの20年を現場で貫いてきた自分だからこそ、乳がん治療に苦しむ女性の環境も20年後には必ず良く変えられると信じています。今では、自分の経験をもとに講演活動もしています。にこにこと笑い、バリバリと行動するのが今も昔も私のモットーです。

 

NPO法人キャンサーリボンズとP&Gパンテーンによる、がん治療中の女性にウィッグを届ける活動。サポーター(年5,000円)が200名集まると企業からの寄付金を加え、ウィッグ1つをお贈りすることができます。

問合せ先:
NPO法人キャンサーリボンズ
HP:http://www.ribbonz.jp/ (別ウィンドウで開きます)
電話:03-3546-6101

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