障害者週間記念特設サイト

インタビュー(3)

知的発達障害部会 利用者支援研究会にて、障害を持つ当事者の方へインタビューを行いました

私が生きてきた道、これから歩む道

障害者雇用で福祉施設で働いていた西山雄一(仮名)さんのお話を聴きました。

生い立ち

聞き手)西山さん、今日はありがとうございます。まず自己紹介をお願いできますか?

西山雄一さん)僕はN県のS市で生まれました。お母さんは小学校に入ってすぐに他界してしまいました。それで養護施設に入りましたが、そこでは男性も女性も関係なく職員からの虐待がありました。殴られたり裸になって正座させられたり、いろんな虐待があって・・・。僕たち子どもは弱くて何もできないので、みんなで大きくなったらやり返そうと話し合っていました。中学校1年生になって体も大きくなり、職員さんたちにお返しをしました。僕たちも暴力的になっていました。僕は窃盗、傷害、器物損壊など色々と道を外れてしまって、そこから児童自立支援施設に入りました。

聞き手)昔の教護院ですね。

西山雄一さん)そうです。そこから17歳の時に就職のために結婚していた兄弟が暮らしていたB県に行きました。そこで就職した会社がヤクザのところでした。B県でも悪いことをして少年鑑別所に連れて行かれて試験観察という形になり、家庭裁判所が指定したB県の施設に入所しました。保護観察処分になったけど施設内で職員に対して暴力をやってしまって、また少年鑑別所に入りました。戻し収容という制度があるんです。そこから医療少年院に入りました。

横浜に来てからの暮らし

聞き手)医療少年院ですか?

西山雄一さん)今は○○にある少年院に合併されています。
医療少年院は18歳で入って20歳で出ましたが、その時に東日本大震災があって地元に帰れなくなりました。
そこで2012年5月にあるグループホームに入って、そこでとても信頼できるスタッフと出会いました。
僕はそこで穏やかな生活をしていました。しかし、ある時にそのスタッフが利用者さんに暴力を振るうのを目の前で見ました。あなたはそんなことをするんですねと僕はとても切なくなりました。
なんで強い立場の人が弱い立場の人にそんなことするんだと。僕はそこから荒れていきました。職員に対してもやっていいんだな、お返ししてもいいんだなという気持ちになっていったんです。
それから信頼できるそのスタッフと会えなかったこともあったりして、僕もおかしくなってきてグループホームで包丁を持ち出して壁に突き付けて、手の腱を切る大手術をしました。
それから精神科病院に入院になりましたが、主治医の先生が「西山さんは落ち着いているので強制入院にはできない。」と言われました。
でも僕はやったことはけじめをつけないといけないと思ったので、自分から入院しますと3週間入院しました。退院の時にグループホームの職員から大声を出さないこと、物にあたらない、暴力を振るわないことなどが書かれた誓約書を渡され、サインを書かされました。
その後、僕は障害者雇用で他の施設で職員として働き始めました。グループホームの誓約書を1年間守っていたんですが、1年経ってもヒアリングがなく評価もなかったんです。
それでグループホームを出て1人暮らしを始めました。その後も色々と暴力を振るったりもしました。僕も悪いと思っています。そして、この前、職員に手を上げてしまって事業所を懲戒解雇されました。
今は区の力を借りながら、基幹相談支援センターやヘルパーさんや訪問看護を利用しながら暮らしています。

聞き手)波乱万丈ですね。今おいくつですか?

西山雄一さん)31歳です。

聞き手)お父さんはどうされていますか?

西山雄一さん)お父さんは生きているのかどうかもわかりません。
僕は養護施設にいたとき、中学3年生までは実家に一時帰省もしていました。
実家には兄弟姉妹が暮らしていました。

今困っていること

聞き手)西山さん、自動車の運転もできて就職もされていたし、色んな事ができるように思えますが、一番困っていること、苦手なことは何でしょうか?

西山雄一さん)僕はひとつ言われたことはわかるんですけど、色んなことを一度に言われると混乱するんですね。
話の主人公が一人じゃないと混乱しちゃって、イライラして怒ってしまうんです。
でも今は解雇される前の自分とは全然違うんです。気持ちが違うんですよ。
前は信頼できる職員がいないと何もできなかったけど、今は自分で選んでやっているので、それが今の僕のいいところだと思います。
だからこそ、今その職員さんに会いたいんです。自分自身が決めないといけない、自分で決められないときはみんなに相談する、でも決めるのは自分。そう気づくことが大事だと思うんです。
前の自分はそれができていなかった。

聞き手)ヘルパーさんや訪問看護師はどうですか?

西山雄一さん)その方たちに教えてもらったのは「近くならず、遠くならず」という関係です。

聞き手)それはいい出会いでしたね。

支援者に期待すること

聞き手)福祉の支援者にどんなことを期待しますか?

西山雄一さん)支援者さんも人間なので間違ったことをする。利用者も間違ったことをする。職員さんには間違ったことをしたら利用者に謝ってほしいし、お礼を言ってほしい。
「ありがとうございました」、「すみませんでした」、「いただきます」。同じ人間だから当たり前の言葉を言ってほしい。差別はしてほしくない。それを利用者さんが見て学ぶんです。するといい循環になるんだと思います。

聞き手)職員に利用者になめられたくないという意識があると、利用者に謝れなくなるんでしょうね。そうなると悪循環になりますね。

西山雄一さん)グループホームで出会った信頼できるスタッフとは会えなくなりましたが、僕はその人のことを兄貴だと思っていますし、今でも大好きです。
その人はどう思っているかはわかりませんが、自分の願いとしてはもう一度関わりたいと思います。
でも前みたいにつきっきりの関係ではなく、離れず遠くならず、たまに会ってご飯を食べるような関係になりたいです。それが僕の夢です。

聞き手)そのスタッフは西山さんが初めて出会った信頼できる大人だったんだと思います。

西山雄一さん)そうなんです。初めて素の自分を出せる人だったんです。
「どんなことがあっても自分は西山さんを見捨てない」と言ってくれたのが一番嬉しかったんです。もうだいぶん会っていないけど、あちらも僕に会いたいと思ってくれていると信じたいです。
向こうはどう思っているかはわかりませんが、いつか僕も色んな意味で成長してまた会いたいです。

聞き手)私の職場では職員に暴力を振るってしまう利用者さんはいないんですが、職員は利用者さんの目の前の問題行動ばかりに注目しがちで、その人がこれまでどんな生き方をしてきたのか目が向かないところがあるようです。

西山雄一さん)利用者さんは寂しいんだと思います。過去に悲しい思いをしたとか、お母さんお父さんと一緒にいたかったとか。僕も経験上そうなんですが、かまってほしいから、注目してほしいから悪いことをするんです。そして注目されるためにもっと悪いことをするんです。

これからやりたいこと

聞き手)西山さんがこれからやりたいことを教えてください。

西山雄一さん)明日は新しい作業所の体験なんです。
3回体験して決めてと言われています。
ボールペンの組み立てやチラシ折りをしているところです。僕はそこは通過点だと思っています。
1か月目に慣れて、2か月後には週5日にして、3か月後には一般就職したいです。
目標を立ててやったほうがやりやすいと思っています。
将来はやはり福祉の仕事をしたいと思っています。障害を持っている人を助けたいという気持ちが大きいです。
自分も当事者ですが、自分で言えない人の代わりにその人の気持ちを職員に伝えたいと思うので、もう一度福祉の仕事をしたいという気持ちが強いです。

聞き手)作業所は家からどれくらいですか?

西山雄一さん)家から30分くらいのところです。嬉しいことに1時間でも作業すると工賃が発生するんです。好きな時間、好きな曜日に行けるんですが、僕は今仕事をしていないので、少しずつ慣らしていきたいので、そこに魅かれたんです。

聞き手)だと就労継続B型ですね。

西山雄一さん)B型です。

聞き手)働く日を自分で組み立てられるのはいいですね。

最後に言いたいこと

聞き手)西山さん、最後にぜひ言いたいことをお話しください。

西山雄一さん)僕が職員に暴力をふるってきたことは本当に申し訳ないと反省しています。
そこは直さないといけないと思っています。
でも僕だけが悪いわけではないし、かといって職員さんだけが悪いわけではない。みんなで手をつないで変えていきたい。僕はこれから先、這い上がって福祉の仕事に就きたいと思っています。自分が経験したこと、障害をもって生まれて空回りしてきたことを伝えていくのが僕の使命だと思っています。

聞き手)西山さん、今日は話しづらいこともお話ししていただき、本当にありがとうございました。

 

●インタビューを終えて

初めてお会いした時、短髪の覇気のあるお兄さんという印象でした。多くの困難に向きあったからこそ、今の生き生きとした表情だったのだと感じました。一見困りごとがなさそうに見えたとしても、実は悩んでいたりするかもしれない。身近な方たちの思いを逃さぬよう努めたい。

                      知的発達障害部会副部会長 利用者支援研究会副会長 村越貴洋

 

社会福祉を学び、専門資格を取得し、初めての職場が福祉現場で、そのまま支援者としての経験を積んだ人とは対極にある西山さんの人生でした。人はみんなが自分で選択した道を歩んでいるわけではなく、選択できなかった人生を歩まざるをえない人もいます。そんな中でも、人は自分が置かれた状況に自分の力を発揮して、なんとかして生きているのだと改めて思いました。支援者がその生きる力に目を向けるのか、問題行動としか捉えないのかによって、支援される人の人生は変わってくると思いました。

                      利用者支援研究会保健医療スタッフ会代表幹事 林武文