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福祉広報 2023年9月 776号 テキストデータ

【表紙】(写真)

コロコロ動き、何しても楽しい。
この気分は子どもへの贈り物だね。

【目次】

1社会福祉NOW
2TOPICS
3連載 ネットワークを活かした地域公益活動(5)
4福祉職が語る
5 東社協発
6くらし今ひと 
 

「*見出しの頭には「--(半角で2つハイフン)」の記号が挿入されているので、検索機能を使って頭出しをする際にご利用下さい。また検索の際、目次でご紹介した数字を続けて半角で入力すると、その項目に直接移動することができます。
(例)1をご希望のときは、「--(ハイフンハイフン)1(すべて半角)」と入力。」

 

--1【社会福祉NOW】

一人ひとりの「働きたい」思いに向き合う
― 福祉職場における障害者雇用 ―

民間企業に雇用されている障害者の数は2022年時点で約61万4,000人と、19年連続で増え続けています。こうした中、同年改正された障害者雇用促進法では、法定雇用率の段階的な引き上げや雇用の質の向上などが盛り込まれ、量と質の両面でさらなる充実を図ることがめざされています。今号では、福祉職場における障害者雇用について、施設の取組みから考えます。

 

当事者の声に耳を傾けることが大切
―社会福祉法人多摩棕櫚亭協会

多摩棕櫚亭協会(以下、棕櫚亭)は、1987年に共同作業所を国立市内に開設して以降、30年以上にわたり精神障害者支援に取り組んできた法人です。
棕櫚亭では、就労トレーニングから定着支援まで、就労移行支援事業所ピアスと障害者就業・生活支援センター(注1)オープナーが連携しながら支援を行っています。スモールステップを踏みながら準備を重ね、必要であれば定着支援にジョブコーチを派遣するなど丁寧な支援があれば、勤怠が不安定だと言われている精神障害者も十分に働けることを活動の中で証明してきました。その中で、一般企業から福祉分野の非営利法人まで、多様な職場の障害者雇用に関わっています。特に、雇用をすすめている福祉職場については、福祉に関する基礎知識や障害を受け入れるという基本的な姿勢や配慮があることが特徴だといいます。一方で、多忙を極めるため、「困ったらこの人に聞けば良い」といった業務上の指示系統がつくりづらく、実際に働く当事者が困る事もあるそうです。
また、障害への理解があるからこそ、それが配慮しすぎにつながり、職場の枠組みを超え福祉施設のようになってしまった事例もあるそうです。理事長の小林由美子さんは「たまたま働いた職場が福祉施設だったという事なので、『働く場』としての枠組みは押さえ、その範囲での配慮をしていく事が必要。それがないと本人も苦労してしまうし、結果として職場での疎外感や孤立にもつながってしまう」と指摘します。職場としての一体感も大切で、清掃や調理補助も含め、すべての部門で一体感を意識できるようなしくみや関わりが求められます。

◆当事者が安心して働くことができるように

今回の法改正では、雇用率の算定方法の変更や、雇用の質の向上が盛り込まれています。
雇用率については、24年4月以降、所定労働時間が週10時間以上20時間未満の人を算定できるようになりました。障害のある人の「働きたい」という思いを尊重し、短時間であっても働くことを通じて社会とつながる機会が増えることに一つの意義があります。「オープナー」施設長の荒木浩さんは「ひきこもりからのチャレンジなど、働く際の選択肢が増えるし、働きながら就労継続支援B型との併用も考えられる事は当事者の大きな安心感につながる」と話します。
また、雇用の質の向上については、キャリア形成の支援を含めた適正な雇用管理を積極的にすすめることとされています。事業主には、本人の希望や適性、能力に応じた配置や、能力開発、多様な業務の経験の機会の提供などが求められます。ただし、そこにも配慮や個別性が必要で、「ピアス」副施設長の高橋しのぶさんは「仕事に就くことが最初のゴールという現実もある。また、変化しないことを安心と捉えている人もいる」と、一概にキャリアアップのみが雇用の質にあたるわけではないと強調します。「なびぃ」副施設長の山地圭子さんも「キャリアアップか現状維持か、一人の中にどちらの要素もある。それを本人が選んでいける事が大切だと思う」と話します。また「ピアス」施設長の伊藤祐子さんは「障害のある人たちのことを考えて社会をつくっていくと、みんなにとって良くなると言われているが、雇用についても同じかもしれない」とさらに広げて話します。
棕櫚亭では働く当事者が体験談を語るセミナーを実施して今年で13年目を迎えます。小林さんはそれを続ける意義として「当事者自身の働きがいや働き心地を社会がどのように捉えていくか。当事者がそれを発信できる場をつくり、少しでもそれを広げていくことが必要だから」と言います。そして、「まずは当事者本人の声に耳を傾けること。それが、合理的配慮や就労定着、ひいては当事者の幸せ実現につながっていくのではないでしょうか」と話します。

 

障害者雇用だけでなく実習も受入れ
―社会福祉法人フレスコ会 フレスコ浅草

フレスコ浅草は2016年に台東区で開設したユニット型特別養護老人ホームです。法人職員数は約100人で、これまで2~4人程度の障害者雇用に取り組んできました。現在は、2名の非常勤職員が清掃部門で働いており、24年度からはさらに1名が介護補助として勤務することが内定しています。
取組みのきっかけについて、施設長の佐藤信太朗さんは、「開設後2年ほどして落ち着いてきた時期に、日々の清掃や洗濯など介護の専門職でなくてもできる業務を切り出して、障害者雇用をすすめようと考えた」と説明します。
障害者雇用を開始する前には、障害のある生徒の実習受入れにも取り組みました。ハローワークのイベントでつながりができた特別支援学校の実習生を受け入れることとし、学校の先生を招いて職員研修を実施するなどして、障害のある人と一緒に働く準備を整えていきました。
その後、知的障害や精神障害、発達障害のある職員の雇用を始めた直後は、「どこまで任せて良いのか」「本人の負担になっていないか」「一人にしても良いのだろうか」など、職員からさまざまな声が聞かれたといいます。佐藤さんは「『あまり難しく考えず、本人とコミュニケーションを取ることから始めてみたら?』と伝えた」と振り返ります。さらに職員の変化については、「現場の職員は当初から受入れに理解があったので、変化らしい変化はない。むしろ面倒見の良さなど新たな一面を知ることができて、職員に対するこちらの見方が変わった」と言います。また、実習に来ていた特別支援学校の生徒の内定が決まったことなども、職員のモチベーション向上につながっているといいます。

◆誰もが働きやすい職場をめざす

現在の清掃部門では、臨機応変な対応が苦手であることに配慮して、一日の業務を可視化し、時間割を決めて仕事をすすめるようにしています。作業の見守りは事務職員が順番で行っており、必要に応じて声掛けをしています。「真面目で作業に熱中しすぎてしまうことがあるので、こちらからブレーキをかけることが必要。自分のペースでやってみて、終わらなかったらまた考えようと声をかけている」と話します。
これまでの障害者雇用では、求職者との話し合いにより、清掃部門ではなく介護職として採用したこともありました。心身の不調で離職した介護職経験者のケースでは、履歴書に介護福祉士の記載があり、本人と話をしてみたところ「もう一度チャレンジしたい」という意志が確認できたため、ハローワークとも調整して介護職として雇用したといいます。雇用前の段階で本人に仕事への不安がある場合には、実習の機会を設けるなど柔軟に受入れをしています。
フレスコ会では、20年に「もにす認定(注2)」を取得したほか、特別支援学校の職業体験や障害者の職場体験実習の受入れも継続し、今後も障害者雇用に取り組んでいく方針です。佐藤さんは「障害があっても働ける人はたくさんいるし、定着してくれれば現場も助かる。障害者雇用に限らず、誰にとっても働きやすい職場でありたい」と話します。そして「清掃部門のスタッフが成長してリーダーになってくれたら嬉しい。一緒に実習のプランを考えたりしてみたい」と、今後の展開を思い描いています。

 

(注1)障害者の身近な地域において就業面と生活面の一体的な相談・支援を行う機関で、全国に設置されている。通称「なかぽつ」

(注2)2020年に始まった障害者雇用に関する優良な中小事業主を厚生労働大臣が認定する制度。「ともにすすむ」を由来とする

(図 障害者雇用促進法改正のポイント)

(写真 左から 就労移行支援・自立訓練・就労定着支援 ピアス 高橋しのぶさん 伊藤祐子さん
       障害者就業・生活支援センター オープナー 荒木浩さん
       相談支援・地域活動支援センターⅠ型 なびぃ 山地圭子さん
       障害者就業・生活支援センター オープナー 小林由美子さん)

(写真 (社福)フレスコ会 フレスコ浅草 佐藤信太朗さん)

 


--2【TOPICS】

コロナ禍を経て4年ぶりに開催された子どもたちのドッジボール大会
― 東社協 母子福祉部会

2023年8月5日(土)、練馬区立光が丘体育館にて、4年ぶり20回目となる 東社協母子福祉部会のドッジボール大会が開催されました。児童約70名、職員やボランティア約60名、計130名ほどの参加がありました。
実行委員会の委員長で、北区立浮間ハイマートの平井隆司さんは、ドッジボール大会について「約20年前に、近隣の母子生活支援施設の施設職員同士が集まって何かできないかという話をきっかけに始まった。子どもたちの健全育成と、子どもと職員の交流を目的に、子どもたちが学校で慣れ親しんでいるドッジボールをやることになった」と経緯を話します。
徐々に参加施設が増え、現在は、東京ボランティア・市民活動センターとUBS証券株式会社が行っている社会貢献活動との協働により実施されています。このドッジボール大会を通じて、子どもたちが、福祉や教育、保育分野ではない大人と関わることで、選択できる将来像や将来のビジョンの幅を広げることもめざしています。

コロナ禍でもできることを

この数年間は、新型コロナの流行で、大会は中止を余儀なくされました。平井さんは「行事を通して、子どもたちがさまざまな経験や体験をしたり、友人関係や対人関係を学び成長する場が減ってしまった。何ができるのか考えさせられる日々が続いた」と振り返ります。
集団での活動に制限がある中で何ができるか、職員で意見を出し合いました。どのようなゲームなら子どもたちや職員が楽しめるか、交流していることを実感できるかなど試行錯誤を重ね、22年度は、クイズやカップスタック、ルービックキューブなどを使ったオンライン交流会を実施しました。

子どもたちの記憶に残る大会をめざして準備をすすめる

23年度は、新型コロナが5類感染症に変更されることとなり、対面での活動を再開できる見込みが立ちました。そのため、オンライン交流を視野に入れながらも、ドッジボール大会を実施できるよう、実行委員会が中心となり準備をすすめてきました。子どもたちが描いたイラストでオリジナルTシャツをつくるほか、そのイラストをルールブックにも掲載したり、缶バッジやタオルなどを参加賞として用意しました。
平井さんは「今大会は20回目となるが、これまで継続されているのはすごいこと。歴史の積み重なりを感じる」と言います。続けて「過去の大会に参加した子どもたちから『あの時のドッジボール大会で優勝したよね』といった言葉を聞くこともある。子どもたちの記憶に残る大会になると良い」と話します。
実行委員会は「子どもたちの健全育成につながる機会をつくり、交流をしながら楽しむ顔が見られるように」という気持ちで、大会当日に向けて取り組んできました。
また、この大会は子どもたちの交流や成長の場だけではなく、施設職員の交流の場にもなっています。「他施設の職員との関わりによって、自身の支援を振り返る機会にもなる。互いに切磋琢磨し、より良い支援を考える学びの場にもなるため、積極的な交流が生まれると良い」と平井さんは言います。

当日の様子と今後に向けて

今回の大会のテーマは「ひろげよう ともだちのわ みつけよう みらいへのかぎ」。当日は、開会式で前回の優勝チームからのトロフィー返還と、実行委員長等からの挨拶があり、その後、小学生と中高生に分かれて試合が行われました。ほかにも、実習生や施設職員、ボランティアのチームと子どもたちの対戦など、交流を兼ねた試合の時間もありました。
ボールを順番に回す子どもたちの姿や、声かけをする様子が見られたほか、待機している子どもたちや職員からは応援の声も聞かれ、白熱した試合となりました。閉会式では、1~3位までのチームに表彰状とトロフィーが授与され、参加した子どもやボランティアからの挨拶のあと、実行委員長からのまとめの言葉があり、大会は無事終了しました。
「子どもたちが一つでも多くの経験ができるように」というのは各施設職員共通の思いです。職員の業務が増えている中、どうしたら負担が軽減するかなど、検討が必要なこともあります。平井さんは「職員同士で知恵を出し合い、より良い開催方法を模索しながら、活動を続けていきたい」と今後について話します。

 

(写真 実行委員会のメンバー 前列中央が委員長の平井隆司さん)

(写真 子どもたちのイラストを載せたオリジナルTシャツ)

(写真 当日の会場の様子)

(写真 閉会式で表彰状と景品を受け取る子どもたち)

 


--3【連載 ネットワークを活かした地域公益活動】

歩みを止めず、地域課題と向き合い続ける

日野市内の社会福祉法人による「日野市内社会福祉法人ネットワーク」は2018年に設立されました。新型コロナ流行の最中も、各法人が感染対策に追われる中、フードパントリーや買い物お助けサービスなど、地域での活動を継続してきました。今回はコロナ禍での活動を中心に、ネットワーク代表の浅野大輔さんと事務局の日野市社会福祉協議会(以下、日野市社協)の皆さんにお話を伺いました。
 

日野市内社会福祉法人ネットワーク(以下、ネットワーク)は、「暮らしの支援」「福祉教育」「情報発信」を3つの柱にこれまで活動をすすめてきました。立ち上げ当初、ネットワークに対する各法人の期待や出発点はそれぞれで、何に取り組んでいくかを悩んだといいます。知的障害者・重度心身障害者施設を運営する「夢ふうせん」の施設長で代表の浅野大輔さんは「以前から分野ごとのつながりはあったが、地域の法人が分野を超えて連携する必要性を感じていた。既存の社協事業に参加することからスタートし、幹事会を中心にまずは走り始めてみた」と振り返ります。
日野市社協による「日野市民でつくる防災・減災シンポジウム」等に協力するほか、「職員同士が気軽に話せる場」として地区別情報交換会を19年に開催。同時に、日野市フードパントリー事業への協力(注1)や独自に買い物お助けサービスを始め、ネットワークとして地域課題に向き合ってきました。

◆1つの事業をきっかけに

「新型コロナの影響でさらに困る人が増えるのなら、私たちが地域に向けて個々にできることは続けなければならないと思った」と浅野さんが話すように、20年の新型コロナ流行時も、集合形式の活動は一部中止としながら、地域に向けた必要な取組みは工夫をしながら続けてきました。
フードパントリーもその一つであり、コロナ禍前の月20件程度の利用に対し、生活福祉資金の特例貸付と併せて案内したことで、20~21年度は月平均100件の利用に上りました。ニーズの増加を受けて運営体制を見直し、食材の箱詰めや運搬は日野市社協の役割になりましたが、社協だけでは人手が足りず、コロナ禍で活動が難しかった地域のボランティアや生活困窮者就労準備支援事業利用者等の協力を得ながら継続してきました。
こうした動きについて、日野市社協総務係の千野裕子さんは「フードパントリー事業によって生活に困窮している人のニーズに応えるだけでなく、図らずも地域の多様な人の参加につながった。こうした広がりは日野独自なのでは」と実感しています。色々な側面を持った本事業はネットワークにも影響し、同係の浜野智之さんは「幹事会で1つの地域課題を共有することで、どんな取組みが必要なのかを共に考えることができた」と話します。コロナ禍で事業に協力する法人も増え、施設の担当者を集めた情報交換会も開かれました。対応に関する悩みや気づきを共有するなど、地域課題に取り組みながら横のつながりが強くなっていきました。

◆動き続けることで、新たな可能性が見えてくる

コロナ禍前から取り組み続けている地域課題に、〝障害者の移動支援の担い手不足〟があります。制度はあるものの、その成り手がいないのでサービスが提供できない現状が市内の居宅介護支援事業所等からも聞かれていました。
そこで、ネットワークとして地域の移動支援の担い手、それから将来の日野市の福祉人材養成を視野に、近隣の明星大学にて「移動支援」に関する出張講義を19年から始めています。関係する法人が職員を派遣し、移動支援事業や日々の仕事などを学生に話すもので、コロナ禍による活動制限期間もオンラインで続けました。派遣された職員のスキルアップの場にもなるほか、本取組みから、日野市独自の「日野市移動支援従事者養成研修」が行われ、若者が移動支援サービスの成り手になっています。
そうした活動に加え、コロナ禍で新たな取組みも実施されました。日野市社協ではもともと、一般交通機関での移動や歩行が困難な方を対象に、福祉車両で外出時のサポートを行う登録制の移動サービスに取り組んできました(日野ハンディキャブ事業)。本事業をベースに、市からの委託として、身体的な事情からワクチン接種会場へ向かうことが難しい人を対象に、登録の有無を問わず移動サービスを行いました。日野市社協が対応できない土日は協力できる法人が送迎車両を出し、日野ハンディキャブ事業の運転協力者が付添者として協力してくれました。
日野市社協地域福祉係の山田明生さんは「日野は山坂が多く、公共交通機関も十分でなかったりする。今回、利用件数は多くなかったが、今後の移動サービスの取組みにつながっていけば」と話します。そのほか、災害時に向けたネットワークの取組みとして、幹事法人内での災害備蓄品の共有や活用のあり方を模索することも新たに始まっています。

◆ネットワークとして、地域と共に

コロナ禍でも歩みを止めず、地域にできる活動を続けてきたネットワークですが、幹事会を中心とした取組みにとどまっている現状があります。今年度は開催が難しかった地区別情報交換会の再開も検討しており、千野さんは「どんな法人も気軽に取り組めるようなしかけをしていきたい」と話します。続けて、山田さんは「ネットワークをどう成長させていくかも大切だが、地域課題に向き合うことは忘れずに取り組んでいきたい」と強調します。
今年で5年目となるネットワークは、地域と共にその活動を広げてきました。浜野さんは「法人それぞれ地域に対して取り組んでいるが、複数の法人で知恵を出し合うことで新たな取組みができる」と協働する意義をより強く感じています。立ち上げから関わってきた浅野さんは活動を振り返り、「幹事会で気軽に色々と聞き合うことができた。そのメリットをネットワークに共有していきたい。そして、メリットを活かしながら、顕在化してきた地域課題に、社会福祉法人だけでなく、福祉関係者全体として取り組んでいかなければならない」と考えています。

 

(注1)NPO法人フードバンクTAMAが主催。参加法人は地域の“中継地点”として、食料配布だけでなく利用者のニーズを把握し、必要な支援や機関につなげる。コロナ禍では窓口として対応した職員の気づきを機に、大学生向けのパントリーも始まった。

(写真 日野市内社会福祉法人ネットワーク
    左から(社福)日野市社会福祉協議会 総務係 千野裕子さん
      (社福)日野市社会福祉協議会 総務係 浜野智之さん
      (社福)夢ふうせん 施設長 浅野大輔さん
      (社福)日野市社会福祉協議会 地域福祉係 山田明生さん)

(図 日野市内社会福祉法人ネットワーク)

(QRコード ネットワークの立ち上げについてはポータルサイトよりお読みいただけます!)

(写真 フードパントリーには地域の中学生たちも協力している)

 

--4【福祉職が語る】

社会福祉法人に携わる人は、社会福祉法人の使命と責務を忘れないでほしい
社会福祉法人村山苑理事 品川卓正 (Takamasa Shinagawa)

10代の頃の私は、関西の民間企業で働いていました。なんとなくその日を暮らしている自分に「これでいいのかなあ」と思う日々でした。そんな時、知人である若き日の高山照英氏(当時の村山苑理事長)と連絡を取り合う機会があり、自分のもやもやした思いを伝えると、「それなら東京に来て福祉の仕事をしてみないか」と声をかけてもらいました。福祉の仕事と言われても何も分からない私に「いろいろと困っている人たちの生活を支える仕事だよ」と教えてくれて、私は「人の役に立てるのであれば」と東京に行くことを決めました。福祉のことを全く知らなかったので、何の不安もなく気軽に決断したのだと思います。

◆救護施設「村山荘」の職員として

東京に来て、高山氏の紹介で救護施設村山荘の職員になりました。救護施設は、生活保護法にもとづく保護施設で、身体・精神の障害や、経済的な問題も含めた課題等、多様で複合的な理由により日常生活を営むことが困難な人が利用している入所施設です。1960年代後半の「村山荘」には100名近い利用者がいました。お世辞にもきれいとは言えない建物で、居室もお風呂も食堂もボロボロです。初めて見る福祉の現場の様子に、自分がこういう場所でこの人たちのために役に立てるのか不安になりました。
村山荘での私は、日中は畑に出て利用者の方々と一緒に野菜づくりをして、夜は収穫した食材を鍋にして一緒に食べる、そんな経験をしながら利用者一人ひとりが抱える課題に向き合っていました。先輩職員にも支えられ、さまざまな支援やコミュニケーションを重ねていく中で、徐々に私の中にあった利用者との距離感が縮まっていきました。さらに、自分が周囲に受け入れられ、信頼されてきていることを実感するようになると、仕事にやりがいと魅力を感じるようになっていきました。そして、自分の仕事をもっと知りたい、学びたいと、社会福祉の制度や役割を勉強するようになりました。

◆「村山荘」の施設長として

5年間、村山荘で勤務をした後に、一度、法人内の保育園に転勤となり、その後、再び村山荘に戻り、施設長として勤務することになりました。
施設長になり、利用者支援だけでなく職員育成の視点もあわせて施設運営に関わっていくことになります。
「利用者の笑顔と満足」を実現することが「職員の笑顔と満足」となり、職員の成長にもつながっていきます。そういう場面を経験することで職員の仕事に対する意欲を高めて、施設全体で質の高いサービスを心掛けました。会議や委員会を行うときは、ここでの意見交換や議論が自分たちの業務にどう役立っていくのかを具体的に思い描けるようすすめました。
 東社協の救護部会の活動に参画する機会も増えました。1990年代後半の施設部会には、公私格差是正事業(注1)の見直しにどのように対応していくか等の難しい課題がありました。一つひとつの課題に対し、東京全体の救護施設の意見をまとめていかなくてはなりません。救護部会の活動を通して、特に当時部会長であった田中亮治先生(東京光の家)とは、多くの場面で同席させていただき、東京の福祉はもとより全国の福祉を牽引するリーダーの姿勢や考え方を間近で学ばせていただきました。
私がリーダーとして大切にしていることは、相手の気持ちを尊重する、ぶれない姿勢を示す、本質をしっかりとらえる、を実践することです。田中先生はじめ諸先輩方からの多くの学びに感謝しています。

◆社会福祉法人村山苑の理事長として

1997年から社会福祉法人村山苑の常務理事、2010年からは理事長として法人の経営に携わるようになりました。村山苑は救護施設・保育園だけではなく、高齢者・障害者のための事業も行っています。これらの事業は、それぞれで課題を抱えています。制度改正に伴う報酬改定や利用者確保の問題、老朽化した施設の建て替え問題、人材の確保・定着・育成は、常に大きな課題として目の前にあります。
理事長としての判断を求められる場面も多々ありました。私は、法人経営は大切だと理解していますが、そのために福祉サービスの質の向上の努力が阻害されてはいけないと思っています。私が理事長として判断・決断する際の基準は「サービスよりも経営ではなく、サービスのための経営」であることです。結果として、このことが村山苑の経営と信頼に好循環をもたらしたと思っています。

◆地域公益活動推進協議会の設立

村山苑の理事長になったことで、 東社協の社会福祉法人協議会(以下、法人協/現:社会福祉法人経営者協議会)の活動にも関わるようになりました。
2011年の「黒字ため込む社会福祉法人」という新聞記事をきっかけに、社会福祉法人に対する厳しい内容の報道が続きました。その対応に苦慮したことは忘れられません。
社会福祉基礎構造改革の「多様な事業主体の参入促進」により、株式会社や非営利活動法人等による福祉サービスの提供が広がりました。そして、同じ福祉サービスを提供していても社会福祉法人にだけ優遇措置があるのは不公平であるという、いわゆる「イコールフッティング論」が出てきました。この中で、社会福祉法人への課税についても検討の項目になったことは大きな衝撃でした。課税問題は、特に大都市の社会福祉法人にとっては、法人存亡の大きな分かれ目ともいえる問題です。
国はこのことを重視して、社会福祉法人のあり方について、社会保障審議会福祉部会等の場で検討し、2016年に改正社会福祉法を成立させ、その中で、社会福祉法人の「地域における公益的な取組を実施する責務」等が明記されました。
2015年からは法人協の会長としてこの課題に取り組みました。東京の社会福祉法人にふさわしい「責務」について、 東社協内に協議の場を設けて関係者とともに検討を重ねました。その結果、 東社協に新たに「地域公益活動推進協議会」(以下、推進協)を設立し、私は推進協の初代会長として、東京ならではの「3つの層による地域公益活動の推進(注2)」と、地域公益活動の「活性化」と「見せる化」に取り組んでいくことになりました。社会福祉法人は、その使命と責務を果たすために、それぞれの福祉サービスの専門家であるだけではなく、地域のさまざまな福祉ニーズを受け止める専門職集団であることが求められています。推進協は、各法人が得意分野を持ち寄って地域のネットワークをつくり、その上で地域の福祉力を「見せる化」して、地域住民に知ってもらうための情報発信力強化に協働で取り組むことをめざします。

◆社会福祉法人の「責務」の重さ

推進協の設立は、社会福祉法人の存在意義が問われている状況に対する東京の社会福祉法人の大きな覚悟と決断だと思っています。
しかし、2016年の推進協設立から7年が経過して、昨今はこのことに関する社会福祉法人や福祉関係者の問題意識が薄らいできているように思えてなりません。
われわれは、社会福祉法人の存在意義が常に問われていることを理解して、社会福祉法人の使命と責務の重さを認識し、誠実に取り組む姿勢を忘れてはいけないと思います。

 

(注1)「公私格差是正事業」
民間社会福祉施設職員給与公私格差是正事業。公立福祉施設等で働く東京都職員と民間福祉施設で働く職員の給与格差を是正するため、東京都の加算等により民間福祉施設職員の処遇改善を図った制度。1971年度開始。1999年に事業見直しとなり、その後「民間社会福祉施設サービス推進費補助事業」がスタートした(2002年本則実施)。

(注2)「3つの層による地域公益活動の推進」
推進協による東京都内における地域公益活動推進のための活動方針
(1)各社会福祉法人による取組み
(2)地域(区市町村域)の連携による取組み
(3)広域(東京都全域)の連携による取組み
の3つの層による取組みを推進するための活動を行う。活動の推進にあたっては、区市町村域における社会福祉法人のネットワーク組織と緊密に連携する。

(写真
元 東社協救護部会部会長
前社会福祉法人経営者協議会会長
前東京都地域公益活動推進協議会会長)


--5【 東社協発】

つながれ ひろがれ ちいきの輪 in TOKYO キャンペーン開催中です!

東京都高齢者福祉施設協議会では、9月~11月の間、「つながれ ひろがれ ちいきの輪 in TOKYO(以下、つなひろ)」を実施しています。

 

◆キャンペーンのねらい

つなひろは「地域でこぼれ落ちる人がいないよう、誰もが安心して暮らせるまちを目指して」高齢者福祉施設・事業所の地域に寄り添う活動を推進するとともに、その活動を広くPRすることを目的としています。
この活動は、2016年度に始められましたが、コロナ禍により、ここ3年間中止していたため、4年ぶりの実施となります。

◆多様な取組みで地域に寄り添う

地域のニーズや会員施設・事業所等の特性によって、取組み内容はさまざまです。
対象者は高齢者に限りません。施設にお越しいただく形のほか、職員が出向く形、複数施設・法人や地域団体との協働による取組みもあります。
テーマも、食に関するもの、認知症や介護予防、居場所づくりや地域交流、勉強会など多岐に渡っています。
高齢者施設・事業所は、今でも新型コロナの影響を受けていますが、それでも、地域のニーズに応えようと創意工夫を凝らし取り組んでいます。

つなひろ参加施設や取組み内容については、高齢協ホームページでお知らせしています。
お近くの施設の取組みや興味のあるテーマなどを見つけ、ご参加ください。

10月1日から赤い羽根共同募金運動が始まります!

今年も10月1日から赤い羽根共同募金運動が始まります。共同募金にお寄せいただいたご寄付金は、民間の社会福祉施設・団体、地域のボランティアグループ、NPO、社会福祉協議会などが行うさまざまな地域福祉活動のほか、ひきこもりやDVなどコロナ禍で顕在化した新たな福祉課題への支援活動にも役立てられます。また、大規模災害が発生した際、すぐに災害ボランティアセンターを立ち上げ、運営していただけるよう対応いたします。
本年も赤い羽根共同募金運動にご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

 

(写真 つなひろ参加施設の取組みの様子)2枚

(図 つなひろロゴマーク)

(QRコード 「つなひろ」ホームページ▶)

(QRコード 共同募金運動期間
      10月1日~令和6年3月31日
      東京都共同募金会ホームページ▶)


--6【くらし今ひと】

大切なのは、障害の有無に関わらず子どものやりたいことを見つけて伸ばすこと

2022年5月、発達障害の子どもをサポートする、ともくんみゅーじっくすたじおが開業されました。代表の原嶋勝巳さんと高校3年生の原嶋友也さんにお話を伺いました。


◆ドラムとの出会いは運命だった

勝巳さん 息子は3歳の時に〝広汎性発達障害自閉スペクトラム症〟と診断されました。生まれてから発話がなく、周りの子と違う行動が多いと感じていました。保育園では落ち着きがなく、集団行動ができず人の言うことを聞きませんでした。手探りで、英会話やサッカー、水泳などさまざまな習い事を試すものの長続きせず、親としてどうしたらいいのか分からず、辛い時期を過ごしていました。
息子が7歳の時、治療で通っていた鍼灸院から、障害のある子でも通えるドラム教室を紹介してもらいました。当時流行っていた太鼓の達人を購入したところ、楽しそうに太鼓をたたいたので、ドラム教室に通うことを決めました。
ドラムをある程度たたけるようになった頃、音楽を通じてコミュニケーションの幅が広がればと、家族で〝友くんバンド〟の活動を始めました。妻はギターを、私はキーボードと作詞・作曲を行いました。息子の好きな曲で音を合わせ練習を重ね、音楽教室のイベントなどにも参加。息子がソロで活動するようになるまで2年程続けました。その後、息子はYoutubeなどのドラム動画を数多く見て「自分も頑張ろう」と、必死に練習し徐々に実力をつけました。
18歳になった今では特別支援学校に通いながら、さまざまなイベントやYoutubeで、パフォーマンスを披露できるドラマーとして活躍するまでに成長しました。

◆子どもたちの新たな一歩につながる活動を

ドラムを楽しそうにたたく息子の姿を目の当たりにし、好きなことを見つけて伸ばすことが、障害のあるなしに関わらず子どもにとって大切なことだと改めて気づかされました。「息子が好きなドラムで社会貢献できるようにしたい。世の中にたくさんいる同じような発達障害の子どもたちを応援する活動がしたい」との思いから、ともくんみゅーじっくすたじおの立ち上げを決断しました。
初めてレッスンを受け持ったのは、特別支援学級に通う生徒さんでした。最初は顔も見てくれず、話しかけても背を向けていたのですが、慣れてくると笑顔で返事をしてくれるようになり、スタジオに通って1年経ちますが、ドラムもとても上達しました。そういった子どもたちの目に見える変化がとても嬉しいです。「ここに通わせて良かった」という親御さんの声を聞くと、スタジオを立ち上げて良かったと改めて思います。
現在、軽度の障害を持っている子や不登校の子など約20人がドラムを学んでいて、息子は障害のある子どもたちにドラムを教えています。一人ですべてをこなすのは難しいので、家族や一緒にドラムを教えている専任講師によるサポートを受けながら日々努力しています。将来的には自立して指導をできるようになってもらうことが目標です。
私たちがめざすのは、ドラムを通して子どもたちが自信を持てるようになったり、新しい一歩を踏み出したりすることの後押しをすること。これからも家族一丸となって活動を続けていきたいです。

◆友也さんにインタビュー

友也さん 趣味はドラムで、ジブリが好き。家にジブリの本とDVDがたくさんある。一番楽しいのは学校。特に、体育、水泳、音楽の授業で体を動かすことが好き。来年からB型作業所で仕事をする。働くのが楽しみ! ドラムに出会って、いろいろな人に会うことができた。これからも頑張りたい。

 

(写真 ともくんみゅーじっくすたじお オーナー 原嶋勝巳さんとその御家族)

(写真 道の駅で行われた野外イベントの様子)

(QRコード ともくんみゅーじっくすたじおホームページ)

 

以上で、福祉広報2023年9月号を終わります。

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